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戦争と焼夷弾のこと




今日の ” 花子とアン ” の ワンシーンで

花子が 大切な

翻訳のための 本と 辞書を 取りに戻るシーンに

はっとさせられました


私の母は 三人姉妹 の真ん中でした

戦争の時

空襲警報が鳴る中、既に結婚していた母以外の

長女と 末っ子の 二人は

焼夷弾が 降り落ちる中  必死に逃げたそうです

が、

そのとき 17 歳だった 末っ子は( 私から見て叔母 )

買って間もない 大切な 自転車を 取りに帰ってしまいました


そして

そのまま

焼夷弾を 全身に 浴びました

親も、姉妹達も 必死になって

るいるいと 山になっている 犠牲者の中を さがしまわったそうです


どこにも 見つけることはできないで絶望の中、

幸運にも  病院に 収容されていることがわかりました


戦後の 薬も ましてや 抗生物質もない時代

それでも

なんとか 生き延びることはできました


ですが、

長姉は 自分がいながら

自転車を 取りに行くことを 止めさせられなかったことに

一生 罪悪感を持ち    自分だけしあわせに 結婚することは できませんでした


その後 末っ子の叔母は なんども なんども

手術をしました。

油性のやけどは 治りが悪く ケロイドになり、

いつまでもじくじく していました

私が幼かった頃

母の実家に 行くと いつも 必ず 

数本の 少し ところどころ 黄色くなった 包帯が 干してありました

そして

夕方  それが 乾くと

母は 取り入れて

上手に くるくると 巻きました

私も 何本かは 巻くのが面白くて

巻いたような 気がします


医学の進歩とともに

ケロイドには なっても 癌化することはなく

何度も皮膚移植を しながらも

ワーキングウーマンとして 一生生き続けました


今日の TV を見ていて ふと、

母のこと、叔母のこと、

いろんなことを 思い出してしまいました


姉妹達にいた 二人の 兄達は

やはり

南方で  亡くなりました
by mypottea | 2014-09-13 21:05 | 思い出

子育ての終わった子供のこと、日々のできごとを


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