” おじいちゃん ..... 死んだ ..... ”
2015年 11月 23日
一か月ぶりに 遊びにきてくれた
3歳児と、1歳児と そのお母さん
前回と 今回、 2回 続けて 家人は
仕事が入り、 ” おじいちゃん不在 ” でした。
* *
私が 途中まで迎えに行き
我が家のドアの前まで着いたとき
3歳児 誰に話すともなく
” おじいちゃん ... 死んだ ... ”
と、つぶやきます
” えっ? えっ! ”
” 死んでない、、死んでない、、”
と、あわてる私と3歳児のお母さん
今日は仕事で出かけたこと
また今度 会えることなど 説明して
一件落着 にしましたが、、
2回 連続して会えなかった おじいちゃん
近い人の不在 = 死
あの人はもう死んだ、、
と、いうメンタリティー
たった3歳なのに
すごく 本能的な 言動に私のほうが
少し動揺しました、、(゚o゚;;
どうして そういう思考形態ができるのだろう、、
この歳になるとたくさんの少し年上の知人、友人、恩人がなくなります
そんなとき 一番思うのは
あぁ、もう会えないんだ、、という思い
” 不在 ” という かくもつよい存在
日本の文豪 川端康成が
その処女作 ” 十六歳の日記 ” のなかで
孤児だった 川端康成を育ててくれた祖父の死に際して 16歳の多感な時期に経験した その祖父の死を
その日記に 思いを残しています
男の子にとって 祖父 というものは とりわけ
何か 意味をもつようだ、、
何も教えていない3歳児のこんな会話
いろんなことを考えさせられた 一日でした
.
by mypottea
| 2015-11-23 21:59